Sarah's Diary

UK POPの歌詞和訳と関連記事から英語を学びます

「ニュー・オーダーとジョイ・ディヴィジョン、 そしてぼく」読書記録

気づけば7月も終わりに近づき、予想外に早くやって来た暑すぎる夏もいよいよピークを迎えようとしています。
このひと月もの間、何をしていたんだろうか・・・こうして日々漫然と過ごした結果が、今現在の自分の人生を形作っているんだなと思わずにいられません。笑

 

翻訳の対象とすべき曲が今思いつかないので、最近近所の古本屋で発見したバーニーの自伝「ニュー・オーダーとジョイ・ディヴィジョン、 そしてぼく」(2015)の読書メモでも書きつけておこうかと思います。

 

読んだのは翻訳版ですが、終始良くも悪くも淡々としていて、常に冷静さを失わない視点からも、バンドのフロントマンにありがちなナルシシズムとは一線を画す、等身大に近いバーニーの人となりに触れることができます。(このあたりがフッキ―の自伝との一番の違いか)

 

そうした人柄がどうして形成されたのかを知る一つの鍵が、彼のサルフォード時代の生い立ち。父親を知らず、障害を持ったシングルマザーの元に生まれ、継父とも緊張感のある中で、精神的にも経済的にも厳しい幼少期を過ごした経験。そこから彼のリアリストとしての視点、その中で生き抜いていく為の現実解として、友人や音楽の存在が綴られています。

 

サルフォードでの生活がタフであったことは、当時の時代背景とマンチェスターの労働階級の生き様の描写から、間接的に知ることができます。絶望的な小学校での生活、僅か12歳かそこらで人生の選択を迫られ、Headmaster Ritualでも窺い知れますが「労働者階級が勉強して何になる!?」と言って憚らない抑圧的な教師たち・・・今は必ずしも同じ条件ではないでしょうが、何度も繰り返される「労働者階級」と言う言葉の肌感覚を追究することは、マンチェスター音楽の原風景を理解する上で一つのポイントと感じます。

 

少年期のバーニーはそこまで音楽に固執している様子がなく、逆にそのニュートラルさが後々まで柔軟性を彼に与え、JDからNOへバンドが変身して行く中で音楽性の変容にヒントを与えていたのかも知れません。パンクの渦中の空気感も良く描写されていて、良く言われるJDの命名の瞬間についても、若さと時代の相乗効果が生み出した産物なのだと理解することができます。

 

また、バーニーから見たイアンという人物像も印象的。メディアを通じて我々が後追いするイアンの姿は、JDの音楽性も相まって、ある種の定義付けや「控えめに言っても」伝説化がなされている感じがありますが、いつかのインタビューでバーニーが答えていたように「彼は体が弱くて、バンドを続けることは難しかっただろう」と言うその様子に触れることができます。優れた曲を生み出しながら、病気や両立しない2つの愛と言った苦悩を抱えて追い込まれて行くイアンの姿と、それを止めることのできないメンバー。挙句にリリースされた "Closer" のジャケット写真が墓地だったために、「イアンの死の商業化」とまで叩かれてしまう・・・運命の皮肉です。

 

またもう一つの読みどころは、フッキーの凶行の数々・・・確執と呼ぶにはあまりに一方的で、頑固で気性の荒い「男の中の男」北部の男どもがこじれると手の施しようのない様子が、ファンとしては見ていて辛い。他のインタビュー記事を読んでいても、バーニーはいつでも割とニュートラルな人柄に感じますが、フッキーのような何かにつけ熱い人間にとっては、その冷静さすら腹立たしさを増大させる一つの理由だったのかも。これは2人の自伝を読んでみて感じた部分です。でも、2人とも思い込みの強い熱い人間だったら、そもそもニュー・オーダーで30年続いていたかは? 笑

 

一方で、エレクトロニックに関する記述は嬉しい部分。The Smithsの解散と、ニュー・オーダーの行き詰まり。「エレクトロニックは僕らの避難所」とジョニー・マーの言う通り、バーニーにとってそれまでのメンバーとは違う、ストイックで職人気質のジョニーとのコラボレーションは、その後にニュー・オーダーを発展形にして行くことに繋がる大切な過程だったのだと感じさせられます。バーニーの、ジョニーに対する信頼と尊敬、そして少しのユーモアから、絆の深さを感じることができて、どこかホッとします。

 

本書を通じて一貫しているのは、自身を含む人間の弱さやダメな部分を否定せず、ありのままに描写しつつ、それを何とか乗り越えて行こうとするバーニーなりの温かさです。自身のことも「ダメ人間」「くそ人間」のオンパレードですが、人間のそんな部分をそっと受け止めつつ、人生の辛さや切なさを音楽の形で昇華させてくれる偉大な存在。そんな彼らにあらためて感謝したくなる一冊です。