Sarah's Diary

UK POPの歌詞和訳と関連記事から英語を学びます

2018年9月 イギリス旅行:②Salford & Northern Quarter編

そして翌日。
The SmithsファンにはおなじみのSalford Lads Club のほか、バーニー伝記本で読んだあのSalfordの空気をリアルに感じることができるかな?と少々興奮。

 

Salfordは市街地から離れているので、バスで行くこともできますが、とにかく「空気感を味わう」のが目的。お天気にも恵まれたので、中心地のPiccadilly Gardensから歩いて行ってみることに。

 

  • 一路、Haciendaへ

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マンチェスターの新スポット 'HOME' の看板

↑Tony Wilson Place なる場所があることを初めて知りました。
’HOME’は、その中の映画館や劇場、会議室などからなる複合型のアート施設のようです。

homemcr.org

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通りを挟んで向かい合うライブ会場、GorillaとO2 Ritz

キョロキョロしながら中心地から15分くらい歩くと、Hacienda跡地のマンションに到着。

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入口にコンシェルジュがいるセレブっぽいマンション

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この右側、隣のビルとの間の細い通路を抜け、裏手の運河に

裏手の運河側に出ると、かつてHaciendaでライブを行なったアーティストの碑銘がいくつも刻まれています。

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お手入れ不足の感、否めず

 

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FACTORYの設立者、トニー・ウィルソンもいます

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運河の土手はビルに遮られて日当たりが悪く、昼間でも少し物騒な気配。緊張しながら撮影。笑

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「友達と一緒に帰りましょう」不穏な空気を感じる・・・

 

  • そして、音楽ファンの聖地 Salfordへ

さらに西方向へ、A57という大きな幹線道路に沿って郊外を進んで行きます

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大きな川を越え、ここからSalfordの標識

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地元民の集うスーパーの前にもライブの告知

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中央分離帯の一つに "Salford Lads Club 左折"の小さな標識

そこを左折して2-3分歩くと、Coronation Street に出ます。Lads Clubへの標識が点在。

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Coronation St. 実に平穏な住宅街

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'Coronation Street'

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ついに到着!感無量!!
分かってはいたけど、平日なので開いてなかったのが残念。
Tシャツ、買いたかったなあ。

ちなみに私がちょうどヒースローに着いた日には、こんなイベントが行われていたみたい。

salfordladsclub.org.uk

地元の学童クラブのホールでこんなイベントがあるなんて!サルフォードっ子が羨ましい限り。「俺たちのマンチェスター」と言う地元へのプライドは、こうした早期教育のおかげもあるのかも?

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スクールバス、'Salford Lads & Girls Club'になっていました・・・やはり時代の流れか。

Salford Lads Clubの周囲は、想像以上に普通の住宅街。こじんまりとした2階建ての戸建てが立ち並ぶエリアでした。観光客と思しき人は私以外皆無で、車社会のせいなのか、人の気配すらほとんどなく・・・世界中にThe Smithsファンが何人いるのかわかりませんが、やたらLads Clubへの案内標識が目につくのは、住人の平穏な生活に影響がないように配慮なのかな?と思いました。

 

  • Manchesterのいま ― Salford Quays

そこからさらに足を延ばし、近年BBCの巨大スタジオができたりと再開発が進むエリア、Salford Quaysへ。今や、BBCのスタッフの半数はここで働いているんだとか。前にバーニーがBBCのインタビューで「もはや、俺の知ってるサルフォードじゃない」と話していたけど、わかる気がします。だって雰囲気=汐留、って感じだもん。(海じゃなくて運河だけど)

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Salford Quaysのランドマーク

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バラエティ番組の撮影中でした

この辺りは先ほどの住宅街からさらに歩いて20分くらい。完全にウォーターフロント的雰囲気で、本当にここはマンチェスターなのかな?と言うくらい近代的。
ロンドンの一極集中を是正するために、新幹線を通してマンチェスターを10年越しで通勤圏にする構想があるようですが、マンチェスター独特の自由闊達でクリエイティブな雰囲気が失われないかは、少し気になります。

  • 音楽好きなら外せない、Northern Quarter

少し歩き疲れたので帰りは路面電車に乗り、あっという間に市街地へ戻ります。夜は楽しみにしていたNorthern Quarterのスポットを、いくつかブラブラと。

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Manchesterと言えば、蜂がマスコット

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かつてJoy Divisionもライブを行なった Band on The Wall

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Piccadilly Recordsと店内のJDの写真(撮影承諾済)

レコードは荷物になるし、プレイヤーも今の自宅にはないので、買わないと決めていたんですが、↑のパリのライブ盤はジャケ写がとても印象的で。最後の最後まで迷いました。40年前の写真なのか・・・

 

近くにvinyl exchangeというレコードショップもあり、こちらは地下フロアにJazzのレコードもあったりして、もう少し幅広い感じでした。Buy/Sellだけじゃなくて、Exchangeと言うのが面白い。

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  • Manchesterの魂を感じるなら、Afflecksへ!

今回の旅で、一番期待を越えたのがここAfflecks。ネットで見ても謎の存在だったのですが、音楽好きなら行く価値あると思います。例えて言うなら・・・ドン・キホーテサブカル版?

www.afflecks.com

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言葉では形容しがたい雰囲気です

元々デパートだった建物で、今は各テナント(と言っても狭い!)に個人のお店がゴチャゴチャ入っていて、いわゆるガイドブックに載っているような一般受けするムードではないのですが、インディーロックが好きなら絶対気に入る雰囲気。音楽関係のグッズも多くて、楽しいお土産が見つかります。(厳密にはライセンスものじゃないんだけど、それ含め雑多な感じがたまりません)

バンドTシャツはじめ、楽器やさんや手作りのグッズのお店、謎のギャラリー等々。私はUKロック好きの友人に、アルバムジャケットのデザインのアップリケやマグカップ、バッジなど買い込みました。

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Salfordまで行かなくても記念撮影可能 笑

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階段もHacienda仕様

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このゴチャゴチャ感がたまりません

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Tony Wilsonって、愛されてる&リスペクトされているんだなと感じました

 

ロンドンへの帰路も、予定通り2時間遅れてEuston駅に到着。笑
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次回は是非、ManchesterでManchesterバンドのライブを見てみたいと思っています。
マンキュニアンの地元愛、すごそうだなあ。

 

 

2018年9月 イギリス旅行:①マンチェスター到着編

気づけば、時既に師走・・・

今年を振り返ると、一番大きな出来事は、9月末に念願かないマンチェスターへ行くことができたこと。
昨年ロンドンに初めて行った際は、弾丸ツアー(3泊5日)だったため、次回は必ずマンチェスターに行こうと決めていて。

 

ロンドンでPeter Hook & The Lightのライブを見るという大きな目的もあったので、それはまたロンドン編として、別記事にしたいと思います。

 

まず、ロンドン➡マンチェスターは、Euston駅からVirgin Trains(特急)が20分に一本くらい出ていてアクセスは良いはずなのですが、初めての長距離鉄道なので、なにせ勝手がわからない。事前に調べておけば済むことなのですが・・・

 

  • 戸惑ったこと ① 

自動販売機でチケットを買おうとしたら、"Single"(片道)、"Return"(往復)で料金がほぼ一緒。意味がわからず窓口で尋ねると、「料金は一緒だから、最初から往復で買えばいいのよ」だそう・・・

 

  • 戸惑ったこと ②

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Eustonのかなり大きな出発時刻表の下で、ものすごい数の人がたむろしているので、どういうことなのか?と思っていると、乗車開始=発車10分前の直前まで出発ホームが表示されない・・・Google Mapに出発ホームが表示されるんですが、これが全然合ってなく、1人混乱。
自由席だと、携帯やPCの充電ができるBOX席から埋まっていくので、バッテリーが気になる状況の場合は要注意。

 

  • 戸惑ったこと ③

普通にありがちな話だけど、自分の身に起こる実感がなかった鉄道事故。順調なら2時間少々で着くはずのマンチェスターが、途中「マックルズフィールド(イアン・カーティスの地元!)で木が倒れ、電線が切れたので、当電車はマンチェスターまでは行けません・・・この先は続報をお待ち下さい」のまま2時間経過・・・・・・結局手前の駅まで戻って、急行みたいな電車に乗り換えるはめに。
この間「マックルズフィールド」を何回聞いたか分かりませんが、私の中では完全に「イアンが永遠に眠る場所」と同時に、「木が倒れたあの場所」として記憶されました 笑

ちなみに、ロンドンへの帰りの電車も「信号機故障」とかで2時間遅れ。状況をVirgin TrainsがTwitter(@VirginTrains)で更新しているのですが、ケータイの電源が切れそうになり。。
バッテリーと移動時間には、くれぐれも余裕を持った方が良さそう。

 

  • Virgin trainからの車窓

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牛→馬→羊→牛→(以下同様)を2時間少々繰り返すとマンチェスター!のはずだった

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2時間遅れでやっと到着・・・
  • Soup Kitchen

ホテルのチェックイン時間をとうに過ぎて到着したので、とにかくお腹を満たそうと、徒歩5分ほどのNorthern Quarterに。まずはJohnny Marrもお気に入りらしい、Soup Kitchenに向かうことにしました。
入店するなり New Order の Ceremony が掛かっていて、いきなり泣きそうに。笑

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左側の入り口を降りた地下がライブハウスになっていて、連夜イベントがあるようです

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Soup Kitchenのメニュー。Vegan対応してます

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固形物を摂取しているのは私ただ一人だった 笑

ギネスビールで煮込んだフレンチオニオンスープが、コクがあってとにかく美味しかったんですが、翌日の夜行ってみるとまるで味が違ってました。初日は時間が遅かったから、きっと煮詰まっていたんだと思う。 笑

 

でも、憧れの人と同じお店の空気に触れられただけで、9500km移動して来た実感が得られて満足でした。

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興奮しながら、翌日に続く。笑

 

1992.2.19:Nirvana 中野サンプラザ公演~26年目の衝撃

またまた無駄に時間が過ぎ、気が付けばもう秋の気配。月に一本と言う超スローペースになってしまい、しかも今回はUKネタですらない・・・単なる備忘録になりつつあるこの体たらく、ご容赦頂ければ幸いです。

 

先日娘が、ニルヴァーナのスマイルTシャツを買ってきて、すっかりファッションアイコン化してしまったバンドのロゴに懐かしさを感じながら、久しぶりにニルヴァーナについて調べてみると、当時日本におけるGeffenのディレクターをしていた方の面白い記事を見つけました。

www.fuze.

愛読していたロッキング・オンでも来日公演が決まる前あたりから、ニルヴァーナの猛プッシュが始まったような記憶が。この記事を読むと、当時の増井編集長はやっぱりマンチェスター押しだったのかなと 笑

 

当時はマッドチェスター全盛で、私もその中の一人だったわけですが、やっぱり "Smells Like・・・"のインパクトは10代の私には大きかったのと、アメリカのバンドには珍しいどこか退廃した、厭世的な雰囲気に魅かれるものがあり、当時はJoy Divisionと同じくらい聴き込んでいた気がします。

 

で、ダメ元で申し込んだロッキング・オンのチケットプレゼント(確か3-4人だったと思う)にまさかの当選。とある大学の受験日だったので、試験が終わると喜び勇んで中野サンプラザに向かったことを覚えています。席もかなり前方で、たぶん5列目くらいじゃなかったかと・・・初めて見るライブの興奮でほとんどの記憶が飛んでいますが、カートがパジャマ姿で現れたのがとにかく強烈で。

 

youtu.be

曲間で「俺はとにかく超具合が悪い、医者に行った」みたいなことをカートが言っていたので(当時高校生のリスニング力の限界)、「あぁ、具合が悪いからパジャマなんだな、着替えられないくらい具合が悪いのか、可哀そうに」と、夭折のヒーローのパジャマ姿を、ずーっとこの26年間記憶していたのですが・・・

 

【MC内容】32:16~

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2日前あたりから 俺すげー具合が悪くなって、 

ひどい風邪かインフルエンザみたいな感じ?

わかんないけど、医者がほら、これ飲めって何かくれてさ

漢方かと思ったら 牛の精液

トカゲみたいな?ペニスみたいで気持ち悪いやつ・・・

まだすげー気持ち悪いけど、そのおかげでちょっと良くなったよ

牛の精子飲んで 頑張ってるんだ

 

すげーいいわ・・・

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そんな内容だったなんてさ!!

 

sperma とか semen なんて言う単語、受験に出ないし、女子高生はもちろん知りませんでしたので・・・しかしこのYouTubeを見ると、外人と思しき激しいリアクションもチラホラ。笑
今まで幻の来日公演でそんな話してたなんて、雑誌でも全然見かけなかったんですけど!

 

何かのメタファーなのか?とか逸話がありそうな気もしますが、現時点では謎。
しかも、このYouTubeのメモ欄には "Dave's story about drinking cow sperm" とある・・・いや、明らかにしゃべってるのカートだし、”I”でしゃべってるし・・・何でデイブ・グロールの話になってるの??

謎が深まるばかりです。

 

 

「ニュー・オーダーとジョイ・ディヴィジョン、 そしてぼく」読書記録

気づけば7月も終わりに近づき、予想外に早くやって来た暑すぎる夏もいよいよピークを迎えようとしています。
このひと月もの間、何をしていたんだろうか・・・こうして日々漫然と過ごした結果が、今現在の自分の人生を形作っているんだなと思わずにいられません。笑

 

翻訳の対象とすべき曲が今思いつかないので、最近近所の古本屋で発見したバーニーの自伝「ニュー・オーダーとジョイ・ディヴィジョン、 そしてぼく」(2015)の読書メモでも書きつけておこうかと思います。

 

読んだのは翻訳版ですが、終始良くも悪くも淡々としていて、常に冷静さを失わない視点からも、バンドのフロントマンにありがちなナルシシズムとは一線を画す、等身大に近いバーニーの人となりに触れることができます。(このあたりがフッキ―の自伝との一番の違いか)

 

そうした人柄がどうして形成されたのかを知る一つの鍵が、彼のサルフォード時代の生い立ち。父親を知らず、障害を持ったシングルマザーの元に生まれ、継父とも緊張感のある中で、精神的にも経済的にも厳しい幼少期を過ごした経験。そこから彼のリアリストとしての視点、その中で生き抜いていく為の現実解として、友人や音楽の存在が綴られています。

 

サルフォードでの生活がタフであったことは、当時の時代背景とマンチェスターの労働階級の生き様の描写から、間接的に知ることができます。絶望的な小学校での生活、僅か12歳かそこらで人生の選択を迫られ、Headmaster Ritualでも窺い知れますが「労働者階級が勉強して何になる!?」と言って憚らない抑圧的な教師たち・・・今は必ずしも同じ条件ではないでしょうが、何度も繰り返される「労働者階級」と言う言葉の肌感覚を追究することは、マンチェスター音楽の原風景を理解する上で一つのポイントと感じます。

 

少年期のバーニーはそこまで音楽に固執している様子がなく、逆にそのニュートラルさが後々まで柔軟性を彼に与え、JDからNOへバンドが変身して行く中で音楽性の変容にヒントを与えていたのかも知れません。パンクの渦中の空気感も良く描写されていて、良く言われるJDの命名の瞬間についても、若さと時代の相乗効果が生み出した産物なのだと理解することができます。

 

また、バーニーから見たイアンという人物像も印象的。メディアを通じて我々が後追いするイアンの姿は、JDの音楽性も相まって、ある種の定義付けや「控えめに言っても」伝説化がなされている感じがありますが、いつかのインタビューでバーニーが答えていたように「彼は体が弱くて、バンドを続けることは難しかっただろう」と言うその様子に触れることができます。優れた曲を生み出しながら、病気や両立しない2つの愛と言った苦悩を抱えて追い込まれて行くイアンの姿と、それを止めることのできないメンバー。挙句にリリースされた "Closer" のジャケット写真が墓地だったために、「イアンの死の商業化」とまで叩かれてしまう・・・運命の皮肉です。

 

またもう一つの読みどころは、フッキーの凶行の数々・・・確執と呼ぶにはあまりに一方的で、頑固で気性の荒い「男の中の男」北部の男どもがこじれると手の施しようのない様子が、ファンとしては見ていて辛い。他のインタビュー記事を読んでいても、バーニーはいつでも割とニュートラルな人柄に感じますが、フッキーのような何かにつけ熱い人間にとっては、その冷静さすら腹立たしさを増大させる一つの理由だったのかも。これは2人の自伝を読んでみて感じた部分です。でも、2人とも思い込みの強い熱い人間だったら、そもそもニュー・オーダーで30年続いていたかは? 笑

 

一方で、エレクトロニックに関する記述は嬉しい部分。The Smithsの解散と、ニュー・オーダーの行き詰まり。「エレクトロニックは僕らの避難所」とジョニー・マーの言う通り、バーニーにとってそれまでのメンバーとは違う、ストイックで職人気質のジョニーとのコラボレーションは、その後にニュー・オーダーを発展形にして行くことに繋がる大切な過程だったのだと感じさせられます。バーニーの、ジョニーに対する信頼と尊敬、そして少しのユーモアから、絆の深さを感じることができて、どこかホッとします。

 

本書を通じて一貫しているのは、自身を含む人間の弱さやダメな部分を否定せず、ありのままに描写しつつ、それを何とか乗り越えて行こうとするバーニーなりの温かさです。自身のことも「ダメ人間」「くそ人間」のオンパレードですが、人間のそんな部分をそっと受け止めつつ、人生の辛さや切なさを音楽の形で昇華させてくれる偉大な存在。そんな彼らにあらためて感謝したくなる一冊です。

 

 

2018.6.9 :二日酔いの中年ミュージシャンなんてダメ人間でしょ

www.theguardian.com

 

▲画像「(酒を断っているのは)禁欲じゃないんだ、ジュースを前より飲むようになって、よりラディカルになった」と語るジョニー・マー

 

ザ・スミスのギタリスト、ジョニー・マーが新アルバム発表

政治色は排除、そして妻アンジーとの結婚生活とは

 

ジョニー・マーザ・スミスのギタリストであり、THE THE、エレクトロニック、プリテンダーズ、モデストマウスポール・マッカートニーハンス・ジマーと共に活動して来た。妻のアンジー、二人の子供と共に暮らし、生まれ故郷のマンチェスターを拠点としている彼。現在はツアー中であり、ソロ3作目の "Call The Comet" では、彼のロックが持つ多彩な要素を表現し、"Actor Attractor" にも見られるようなサウンド的にも一味違う仕上がりとなっている。彼自身はアルバムの形態を「魔法的なリアリズム」と呼んでおり、今日的な命題に対して反ユートピア的なイメージの表現になっている。
アルバムはNew Voodooから6月15日リリース。

 

 "Different Gun"(アルバム収録曲)は、ニースで2016年に発生したトラックテロ事件をモチーフにしていますが、その後マンチェスターアリーナの爆破事件も起こっていますね。

(ニースの事件については)僕はそのショックを音楽的に表現しようとしていたところだった。その後、あの本当に忌まわしいマンチェスターの事件が起こって、次の日にブロークン・ソーシャル・シーン(カナダのバンド)がトリビュートで演奏してくれないかと申し出て来たんだ。あまりにショックで、とてもじゃないけど無理だと思った(が、実際は演奏した)。Different Gunは、そんな悲劇的な事件とロックのバランスをいかに取るかと言うスキルについての曲で、実際僕にそんなスキルがあるのかどうか、しばらくの間悩んでいた。曲は団結をテーマにしていて、とてつもない喪失感に包まれた時に、人として何を感じるのか、そして互いに助け合おうとする姿を描いているんだ。

 

新作の主題は、Brexitとトランプ政権についてなのでしょうか?

全く違うね。そうしたものを、僕の表現活動に混入させたくない。 彼らはその価値もないと思うし、まるで値しない。ここは間違えないで欲しいんだけど、僕はできれば社会意識は高く持っていたいと思っているし、かと言って過度に政治的だったり、説教くさい作品にはしたくなかった。だから、今日的な問題自体と言うよりは、問題に対する感情を優先させて、感情としての反応にフォーカスした。あと、音楽が現実逃避や、抵抗にもなり得る側面も考えてみた。この作品は、僕にとっての抵抗なんだ。

 

デヴィッド・キャメロンに対してツイートした「ザ・スミスファンであることの公言禁止令」は、ある種の政治的発言とは言えませんか?

ツイートする前に3秒は考えたんだ。バンドの人気に乗っかるような感じで、本当に気分を害したよ。彼は発言する相手を間違えたんだ・・・そう思うようにして極力冷静でいるように努めたよ。

 

The Queen Is Deadという作品をスミスは残していますが、先日のロイヤルウェディングはご覧になりましたか?

その時間は、ツアーバスに乗って見ないようにしていた。何だか、国を挙げて嘘のパーティに熱狂しているように感じたよ。実に陳腐で、くだらない。もっと良く考えるべきだ。僕は、ロイヤルファミリーが嫌いな訳じゃなくて、彼らを持ち上げているのがどんな人種なのか、早く気づいて欲しいね。

 

物議を醸す発言の続くモリッシーについて、意見を求められることが多いと思いますが、モリッシーを批判するのは罪悪感がありますか?それとも彼を擁護しますか?

もう随分長い話だよ、この30年間のうちで色々なことが変わったかも知れない。モリッシーと僕はいつも違う人種だった、みんな知っている通りね。そういう質問をされる理由も分かる、僕らはビッグだったし、未だに大きな影響力を持っているから。でも、彼の味方であろうがなかろうが、そんなことはどうでもいい。僕には僕の人生があるからね。

 

ザ・スミスの法廷闘争(元バンドメンバーのアンディ・ルークとマイク・ジョイスが勝訴した)については、今はどう考えていますか?

当時は不快に思ったこともあったけど、どうにかやって行かないといけないのが人生。有名バンドに付き物の、ドラッグとか死とか、法廷闘争とかの一部に過ぎないと思う・・・時には全部まとめて起こるしね。

 

では、あなたへのインタビューでこの質問をしない訳には行きませんので・・・ザ・スミスの再結成はありますか?

ないね。(笑)

 

(中段画像:The Tubeでライブをするモリッシーとマー)

 

元々はアイルランドの家系だそうですが、中絶合法化の国民投票についてはどうお考えですか?

もっと早くに解決されるべき問題だったと思うね。アイルランドの国や、国民性には不思議な作用があるんだ。でも、それを邪魔するのがカトリックの考えさ。今回のことでカトリック教会にたくさんの警鐘が届いたのは本当に良いことだと思う。あまりにも多くのことが、あまりにも長い間何の咎めもなく見過ごされてきた訳だから。

 

あなたはヴィーガン(動物由来の物を食しない)で、お酒もタバコも吸わず、長距離のジョギングをなさっているそうですが・・・若い頃のあなただったら、この禁欲的な生活をどう評すると思いますか?

きっと同じように価値を認めていると思う。別に禁欲的だと思わないし、むしろアクセルを踏み込んでいる感じ。ジュースを飲むようになって、ますますラディカルになった。楽屋で二日酔いで苦しんでる中年ミュージシャンなんて、単なるダメ人間でしょ。

 

ペットショップ・ボーイズとも共演されていて、彼らの曲の中に「こんな運命を辿る生き物になってしまうなんて、思ってもいなかった」と言う歌詞がありますが・・・

実は、自分がどういう運命を生きる生き物なのかを自覚したのは、まだ子供の頃だった。それで、とにかく頑張ってみようと思ったんだ。まさに "Day in Day Out" (明けても暮れても)の曲の通りさ。重荷、とかじゃなくて、逃げ出しようがない状況。有名になりたい訳じゃなく、創作活動への強迫観念からかな。頑張ってモノになるようにするか、頑張れなくてリアルな問題になるか、どっちかだった。

 

30年を越えるご結婚生活は、安定をもたらしているでしょうか?あるいはそれ以上ですか?

間違いなく安定をもたらしてくれている。アンジーはとても賢くて、思いやりのある女性なんだ。あらゆることに気を配ってくれる。でも、そう、彼女は僕と同じくらいノマド的で、変化を求める人間なんだ。夫が外出して戻って来るまでの間、じっと帰りを待っているような従順でおとなしい女性じゃない。僕の魂を癒してくれる感じかな。アンジーはマジですごい女性なんだよ。

 

彼女の存在のおかげで、より勇気が持てる?

そうなんだよ。最初に出会った時、僕は既にギタリストとしての新しいあり方を模索していて、彼女はこう言ったんだ「そう、いい考えね。サインする?やってみましょう!」ってね。彼女のお陰でいつも勇気を持っていられるし、今でもそうなんだ。

 

 

【Words】

dead duck (俗)救いようのない人[物]

abstinence  禁酒、断酒

ecletic     多岐にわたる、さまざまな要素を含んだ

left-field  1.中心・主流から外れた  2.(物の見方などが)一風変わった

dystopian  悲惨な、陰鬱な

defiance  果敢な抵抗、反抗的[挑戦的]な態度、反逆、挑戦

appropriation (文化的な)横領

pseudo  偽物の、ごまかしの

corny  陳腐な、くだらない、つまらない

naff   くだらない、つまらない、時代遅れの、趣味が悪い、魅力のない、ダサい

put someone on a pedestal 〔人を〕尊敬[崇拝・偶像化]する、理想の(人)だと信じ込む

wake-up call    緊急の注意、警鐘、注意喚起

predicament    苦境、窮状、窮地 ※逃げ出すのが難しい困難な状況

bad-ass (俗)すごいやつ、超カッコいい

 

【Note】

"Day in Day Out" 

夫から "badass" と呼ばれる奥さん・・・ロッカーの妻!って感じです。笑

新アルバムのリリースに合わせたプロモーションで、ジョニー関連の露出も増え、ファンには嬉しい限り。追い追い、アルバム収録曲の和訳にも取り組んでみようと思います。まずは堪能してから・・・

 

 

2018.6.11 : ジョニー・マーがあなたの質問に答えます

www.theguardian.com

 

今週金曜日に迫った新アルバム発売を記念して、The Guardianでジョニーが読者からの質問に答えてくれる夢の企画を実施しています。

 

木曜日の夜20:30(日本時間)からライブチャットの配信があるようです!

 

コメント欄に寄せられたファンの質問を見るのも面白いです 笑

「今の頑固じじいのモリッシーをどう思いますか?」みたいのが多いですが、私としては「スミスとスミス以降で、それぞれお気に入りの1曲を教えて下さい」の答えが聞きたいな。

 

2013.6.1 : 「ドラムで成功を収めて」Jack Mitchell インタビュー 英国吃音協会(BSA)のサイトより

www.stammering.org

 

ドラムで成功を収めて

グラストンベリー・フェスティバルでの演奏も記憶に新しく、「Later...ジュールズ・ホーランド」(ピアニストのジュールズ・ホーランドが司会を務めるテレビ番組)でも活躍を見せるドラマーのジャック・ミッチェル。英国吃音協会(BSA)がジョニー・マー(元ザ・スミスのギタリスト)のバンドでドラマーを務める彼に、有名になり成功を収めるまでを伺いました。

 

吃音を抱えて成長されて来た上での、ご経験をお聞かせください。

最初に吃音に気づいたのは8歳の時。当時、僕の両親は難しい関係性に陥っていて、結局離婚することになりまして。子どもの頃からティーンの時代まで、吃音は僕に大きな影響を及ぼして、とにかく名簿の点呼が怖かったのを覚えてます。上手く応対できる時もあるし、言葉に詰まって思ったことを飲み込んでしまう時もあったり。そんな時「はい」「うん」位の言葉しか言えなくて、間抜けな顔になってました。僕にとっては毎朝が鍛錬の場だったのを思い出します。気持ちを落ち着けて準備するんですが、「はい」も言えない時があって。よく、僕の吃音のことを知らないクラスメートの笑いものになっていました。

 

10代に入ると、いよいよ吃音が生活のあらゆる局面に影響を及ぼすようになって。特に女子に話し掛けるのは悪夢みたいで・・・時々吃音のことをいじったりされてましたが、友達は我慢して付き合ってくれてました。大学に入って初めて女の子とデートをすることになった時、とにかく電話をするってことがもう大変で!当時(1997年)はまだ携帯電話も普及してなかったから、自宅に電話して、親御さんに「お嬢さんをお願いします」って言わなくちゃいけなかった。ある時デートのことで連絡しなくちゃいけなくて、その時は結構上手く行ったんです。でも、彼女を電話口に呼び出すまでが、最初の大きな大きなハードルで、まさに恐怖でした。一言も発せられずに電話を切るしかなかったこともありましたよ・・・向こうが切らないから。絶対いたずら電話だと思われてますよね!こんなことが何回か続いて、段々僕もあせり始めたんです。それで思いついたのは・・・「お嬢さんをお願いします」って、自分の声を録音しておいて、親御さんが電話に出たら再生ボタンを押す、ってことだったんです。いいでしょ!でも、向こうが「もしもし」って言ってから再生するまで、ちょっと間が空いたりしてね。でも、この方法は結構上手く行きましたよ。

 

ご自身の吃音とは、長年どのように向き合って来られたのですか?

17歳の時に掛かりつけのお医者さんが「スピーチ・セラピー」について教えてくれたんです。4、5回くらい行ったかな?言葉を飲み込むのでなく、吃音でも発してみよう、って言うことでね。例えば僕が自分の名前を言えなくて、顔を引きつらせながら必死に言葉を発しようとすると、セラピストが「ジ、ジ、ジ、ジャ・・・ック」みたいに言うんだよ、ってアドバイスしてくれるんだけど。あんまり納得できなくて、それは諦めたんです。

 

ドラムを始めたのはいつ頃で、今のポジションに至るまではどんな風にやって来たのですか?

ドラムを始めたのは11歳の時で、自己表現の手段って言うのと、吃音から生まれる抑圧のフラストレーションと緊張感を解放する為って言う感じでした。高校に入る頃になると、ドラムができるってことが少なくとも「カッコいい」と思えるようになって、話せない障害のことからも、気を紛らわせられるようになりました。学校のバンドでも友達と一緒にずっと活動していたんですけど、そのころはまだそんなに真剣に考えていた訳じゃなかった。大学はそれまでの場所からかなり離れたところに行くことにしたので、友達とは別れなくちゃいけなくなった。でも、新しい土地でまるっきり新しい友人ができて、その中にレコード会社と知り合いがいたり、マンチェスターの音楽シーンに知り合いがいる奴がいたんです。皮肉なことだけど、僕の最初の仕事って、ザ・スミスのドラマー、マイク・ジョイスのテクニカルスタッフだったんですよ!その時彼は、同じくザ・スミスのベーシストだったアンディ・ルークと一緒に、イアン・ブラウンストーン・ローゼズ)のバンドでギターをやっていたアジーズ・イブラヒムの前座バンドで活躍してたんです。当時18歳でそんな人たちと関わりが持てたのは、本当に幸運だったと思っています!

 

「20歳でバンド契約。上出来!」

最初のドラマーとしての大きな仕事は、テイルガナーと言うバンドでプレイすることでした。ボーカルはマーク・コイルで、オアシスの "Definitely Maybe" のプロデュースをした人です。 アルバムではノエル・ギャラガーがドラムを叩いていたので、ライブでの演奏を僕がやることになったんです。(ちなみに、テイルガナーのツアーに出ている間に酒を飲み過ぎたせいで、吃音が悪化。それなのに飲めば飲むほど吃音の悪化に関する感覚が薄れて行った)テイルガナーでは、親友と呼べる存在のフィル・カニンガム(現ニュー・オーダー)に出会えました。彼はテイルガナーの前にマリオンと言うブリット・ポップバンドにいて、そのマネージャーがジョー・モスと言う、元スミスのマネージャーだったんです。今はコーンウェル出身の若手バンド、ヘイヴンのマネージャーをしてるんですけど、彼がドラマーを募集しているって言うんで。で、フィル経由で僕がオーディションに呼ばれたって感じです。そのオーディションに通って、仕事が来ました。ヘイヴンは既にヴァージンと契約していたので、僕は20歳でデビューすることになった訳です。上出来でしょ!

 

ジョニー・マーのバンドのドラマーになったのは2012年です。2001年、ヘイヴンの最初のアルバムを彼にプロデュースしてもらって会っていたので、僕のことは知っていたんです。ずっと仲良くしていたし、最初で最高の友達です。ある日ジョニーが「新しいアルバムで何曲かやってみない?」と言ってきたので、喜んでその話に乗って、気付いたら全曲叩いていました。アルバムのミキシングが終わる頃にはワールドツアーの話が出ていて、もう興奮しましたね。

 

マスコミのインタビューにはどう対応しているのですか?

ヘイヴンで成功してからと言うもの、TVとかラジオのインタビューを山ほど受けてきました。それはもう、怖いなんてもんじゃなかった!何とかバンド仲間に任せようと必死でした・・・でも、ドラマーに質問が来るってことないですからね?結局はバンドの絆で乗り切ってました。何か質問が来たら、これだけは言えるって言うフレーズを使うんです。たとえ意味をなさなくてもいいから、何か聞かれたら、一瞬固まった後「そうだね、僕らなりにやってみた一例に過ぎないかな」って言うの。何を聞かれても絶対こう答えるから、バンド内ではジョークのネタになってました。

 

「ジョニーは、僕にも僕の吃音にも本当に理解があって・・・どうしたら僕がリラックスできるか分かっているし、電話で沈黙が流れても切らない人なんですよ」

仕事上、吃音の影響はありますか?

テクニカルスタッフとのやり取りかな、特にライブでやる時は。ドラムの演奏に集中したいから、上手く話そうと余計に努力してしまう(それだけで十分大変なのですが)何か問題があったらすぐに伝えなくちゃいけないのに、言葉は詰まるし、表情にも出てしまうんで。目の前にTVカメラがあったら、そんなの嫌でしょ!

ツアーやライブでやるのはとても楽しいけど、吃音が邪魔になる場合もありますね。この前BBCのラジオ6でライブをやったんですが、スタジオが建て込みで僕だけ別の部屋で演奏しなくちゃいけなかった。ショーが始まる前サブの司会が僕の部屋に来て、他のバンドメンバーの名前を言えって言うんですよ。これからまさにライブが始まるって言うのに!超あせってやっとのことで言えましたけど、表情は最悪だったと思う。そのせいでどうだったってことはないけど、いつもよりドラムを叩くのが激しかったかも!

 

他のバンドメンバーは、あなたの吃音についてどう対応していますか?

僕の仲間は吃音にもずっと付き合ってくれてますね、最初に知り合った時から。ジョニーは、僕にも僕の吃音にも本当に理解があって・・・どうしたら僕がリラックスできるか分かっているし、電話で沈黙が流れても切らない人なんですよ。

 

ファンとの会話はどうですか?

ジョニー・マーとやっているとなると、ファンがいつでも話しかけて来ますね。でも皆は僕の吃音には気づいてないと思うな。避けた方がいい言葉が分かっているから、上手く隠すことができますから。たぶん皆は僕が大人しいだけだって思ってるんじゃないかな。実際そうなんですけどね。

 

リズム感が良いと、吃音にメリットがありますか?

リズムはとても支えになってくれます。何か発せられない言葉がある時(ビールを一杯か二杯引っ掛けていると特に!)ライムに乗せてこんな風に「ハロ~!ボクは!ジャック!ミッチェル!」って感じで言うんです。これは便利。でもこの方法が使えるのは、周りに僕の吃音のことを知ってる人がいる場合に限られますけどね。そうじゃないとふざけてると思われちゃうから!

 

他の有名ミュージシャンに会って話す時はどうですか?

ここ数年で、「有名」ミュージシャンにはたくさん会いました。最近だと、ストーンズロン・ウッド。NMEアワードでステージに上がって、一緒にザ・スミスの "How Soon Is Now" をやったんですけど、あれは夢みたいな出来事だった。他のミュージシャンといると、吃音で困ることが多々あって、言いたいことが時として言えなくなってしまうこともありますね。無理して引きつった顔で言葉を発するよりも、静かにしている方がいい時もあるかな。特に初対面の人の前ではそう感じます。

 

「ドラマー」のせいで、ジョークを言われたりしますか?

いつも「ドラマージョーク」は僕の鉄板ネタ。ブリッドポートのライブの後、しばらくスタッフが笑っていたネタがあるんですけど。会場にサウンドチェックしに入ったら、ステージの背景に「JOHHNY MARR」って巨大な装飾があったので「これ、僕らの?」って聞いたら、スタッフが爆笑して転げまわって・・・そんなの初めてだったんですよ。僕が聞きたかったのは「会場が僕らのために準備してくれたの?」ってことだったんだけど!?

 

 

 

【Words】

hit the big time  成功する、一流になる、大当たりする

school register  学籍簿

dig 皮肉、当てこすり

get through to ~に言いたいことが通じる、~に連絡がつく、~に届く

pent-up  (感情などが)抑圧された、押さえつけられた 

impedement (主に言語の)身体的障害

pick up on [話]~に気付く

 

 

【Note】

Johnny Marrの記事を検索するうち、バンドメンバー、ドラマーの Jack Mitchell (@jackthesticks) | Twitter のインタビュー記事がヒット。興味深かったので取り上げてみました。

"stammering" という単語を恥ずかしながら知らなかったので、何かドラム関係の言葉かと思って読み始めたのですが、調べてみると「吃音」のことだと分かり・・・幼少期から吃音というハンディキャップを抱えて生きて来た彼に、ドラムという光明がもたらされたことは本当に幸運だったのだな、と感じます。

 

当事者にしか分からない苦悩や葛藤が詳細に語られていて、率直な言葉から、一層心を打つものがあります。そして、インタビューを通じて語られる、1人の人間としてのジョニーの姿。メンバーを大切にし、彼らの才能を尊重するそのスタイルが伝わって来るようです。

 

しかし、最後の「ドラマージョーク」って何だろう??ニュアンスがちょっと分からないのですが・・・調べてみると以下のような感じ。

Q ドアの前の男がドラマーかどうか見分ける方法は?

A  ノックがどんどん速くなる

Q ドラマーがバンド仲間に一番言いそうにないことは?

A 「今度は俺の曲をやろうぜ!」

Q ドラムソロとくしゃみの共通点は?

A 来るのは分かっているが、なす術がない

え?分からない、この感覚!!笑

どなたかドラムに詳しい方、解説をお願いします・・・